デジタル文学館 収蔵資料展「自筆資料で読む三好達治の作品」
デジタル文学館 収蔵資料展
県立図書館・県文書館・ふるさと文学館では、「デジタルアーカイブ福井」において、所蔵資料の画像の公開を行っています。
「自筆資料で読む高見順の作品」はこちら
「デジタルアーカイブ福井」とは
このたび、ふるさと文学館が所蔵している三好達治の自筆資料、愛用品等72点の画像を公開します。これは、原資料の保存と研究促進を目的としており、今後も公開可能なものから順次増やしていく予定です。画像は、どなたでもご自宅のPCやスマートフォンで閲覧、ダウンロードが可能となります。
画像は、著作権保護期間を満了したもので、パブリックドメインとなり自由に利用できますが、二次利用にあたっては画像提供者名「デジタルアーカイブ福井」を表示してください。また、成果物等の1部ご恵与にご協力ください。
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「デジタルアーカイブ福井」とは
このたび、ふるさと文学館が所蔵している三好達治の自筆資料、愛用品等72点の画像を公開します。これは、原資料の保存と研究促進を目的としており、今後も公開可能なものから順次増やしていく予定です。画像は、どなたでもご自宅のPCやスマートフォンで閲覧、ダウンロードが可能となります。
画像は、著作権保護期間を満了したもので、パブリックドメインとなり自由に利用できますが、二次利用にあたっては画像提供者名「デジタルアーカイブ福井」を表示してください。また、成果物等の1部ご恵与にご協力ください。
「自筆資料で読む三好達治の作品」
撮影 浜谷 浩三好達治の詩
V0011-00019 三好達治 色紙「春の岬」[『測量船』(昭和5(1930)年、第一書房)所収]
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V0011-00044 三好達治 原稿「雷蝶」ペン書 [『山果集』(昭和10(1935)年、四季社)所収]
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四行詩として発表。原稿には最後の1行がなかったことがわかる。
V0011-00021 三好達治 色紙「山なみ遠に」毛筆[『花筐』(昭和19(1944)年、青磁社)所収]
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V0011-00001 三好達治 原稿「青山二郎の装幀」鉛筆書 [『三好達治全集』10巻(昭和29(1954)年、筑摩書房)所収
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昭和27(1952)年3月17日「東京新聞」に発表
昭和27年4月日本橋での装幀展の講評
V0011-00015 三好達治 色紙「雲代謝みな美しき枯木立」毛筆書 [『定本三好達治全詩集』(昭和37(1962年)、筑摩書房)「路上百句」所収]
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V0011-00014 三好達治 色紙「柿落葉ふうわりと飛ぶみちしるべ」毛筆書 [『定本三好達治全詩集』(昭和37(1962年)、筑摩書房)「路上百句」所収]
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三好達治の足跡
V0011-00006 三好達治 原稿「小動物」ペン書 7枚継[『三好達治全集』10巻 (昭和39(1964)年、筑摩書房)所収]
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幼少期の思い出が記されている。「私は餘り、蛇を怖れない性質(たち)である。・・・」
随筆集『夜沈々』(昭和13年、白水社)の巻頭に収められたほか、『燈下言』(昭和22年、高桐書院)に再収録された。
昭和12年前後の執筆と思われる。
V0011-00046 三好達治 書幅「師よ 萩原朔太郎」[『朝菜集』(昭和18(1943)年、青磁社)所収]
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『文學界』(昭和17年7月号)、『四季』(昭和17年9月号)に発表。師を悼む格調高い挽歌として代表作に数えられる。
V0011-00086 三好達治 原稿「「詩の原理」の原理」鉛筆書 29枚(『新潮』昭和35(1960)年6月号、7月号に発表)
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『萩原朔太郎全集』(新潮社版)の刊行中に書簡その他を例証として述べられた「氷島」論
V0011-00084 三好達治 原稿「月の十日 八」鉛筆書 21枚(『新潮』昭和31(1956)年10月号に掲載)1月号から12月号に連載した紀行文)
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『新潮』昭和31(1956)年1月号から12月号に連載した紀行文
昭和30年11月に秋田県男鹿半島へ向かうことから始まり、翌12月に鹿児島県薩摩半島、昭和31年1月瀬戸内海小豆島、2月徳島県祖谷渓と高知市、3月愛知県知多半島と渥美半島、4月京都山崎の竹藪、ここで母親の病気が重くなり2か月休んだ後、6月に鳥取砂丘、かつて幼年時代を過ごした兵庫県三田町、7月岩手県平泉から青森県下北半島と十和田湖、8月北海道、最終の10月に福井県と気ままに旅をした記録
V0011-00106 三好達治 草稿「草上記 八」鉛筆書 12枚(『新潮』昭和33(1958)年5月号掲載)
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難解と思われている詩歌について、作者の覚書にすぎず、非文法的な表現が作者の心象を伝える武器となっているため、「『月に吠える』のような詩集が人を打つ」とつづっている。
V0011-00081 三好達治 原稿「春の落葉」鉛筆書 3枚 絶筆 (『小説新潮』昭和39(1964)年6月号掲載)
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三好達治の死は突然でした。昭和39(1964)年3月31日、三好達治は詩「春の落葉」を書き上げ、翌日上機嫌で『室生犀星全集』第一巻発刊を祝う席に出かけました。その日は、当時編集委員だった中野重治や福永武彦、奥野健男らと深夜まで酒を交わしました。しかし、その2日後の4月3日夜半、突然狭心症で倒れ、4月5日朝、死去。享年63歳でした。
3月31日に書かれた「春の落葉」が絶筆となり、死後、『小説新潮』同年6月号に掲載。友人の中野重治や石川淳、川端康成、三好達治に見出された谷川俊太郎など多くの文人がその死を哀しみ、追悼文を発表しました。
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幼少期の思い出が記されている。「私は餘り、蛇を怖れない性質(たち)である。・・・」
随筆集『夜沈々』(昭和13年、白水社)の巻頭に収められたほか、『燈下言』(昭和22年、高桐書院)に再収録された。
昭和12年前後の執筆と思われる。
V0011-00046 三好達治 書幅「師よ 萩原朔太郎」[『朝菜集』(昭和18(1943)年、青磁社)所収]
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『文學界』(昭和17年7月号)、『四季』(昭和17年9月号)に発表。師を悼む格調高い挽歌として代表作に数えられる。
V0011-00086 三好達治 原稿「「詩の原理」の原理」鉛筆書 29枚(『新潮』昭和35(1960)年6月号、7月号に発表)
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『萩原朔太郎全集』(新潮社版)の刊行中に書簡その他を例証として述べられた「氷島」論
V0011-00084 三好達治 原稿「月の十日 八」鉛筆書 21枚(『新潮』昭和31(1956)年10月号に掲載)1月号から12月号に連載した紀行文)
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『新潮』昭和31(1956)年1月号から12月号に連載した紀行文
昭和30年11月に秋田県男鹿半島へ向かうことから始まり、翌12月に鹿児島県薩摩半島、昭和31年1月瀬戸内海小豆島、2月徳島県祖谷渓と高知市、3月愛知県知多半島と渥美半島、4月京都山崎の竹藪、ここで母親の病気が重くなり2か月休んだ後、6月に鳥取砂丘、かつて幼年時代を過ごした兵庫県三田町、7月岩手県平泉から青森県下北半島と十和田湖、8月北海道、最終の10月に福井県と気ままに旅をした記録
V0011-00106 三好達治 草稿「草上記 八」鉛筆書 12枚(『新潮』昭和33(1958)年5月号掲載)
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難解と思われている詩歌について、作者の覚書にすぎず、非文法的な表現が作者の心象を伝える武器となっているため、「『月に吠える』のような詩集が人を打つ」とつづっている。
V0011-00081 三好達治 原稿「春の落葉」鉛筆書 3枚 絶筆 (『小説新潮』昭和39(1964)年6月号掲載)
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三好達治の死は突然でした。昭和39(1964)年3月31日、三好達治は詩「春の落葉」を書き上げ、翌日上機嫌で『室生犀星全集』第一巻発刊を祝う席に出かけました。その日は、当時編集委員だった中野重治や福永武彦、奥野健男らと深夜まで酒を交わしました。しかし、その2日後の4月3日夜半、突然狭心症で倒れ、4月5日朝、死去。享年63歳でした。
3月31日に書かれた「春の落葉」が絶筆となり、死後、『小説新潮』同年6月号に掲載。友人の中野重治や石川淳、川端康成、三好達治に見出された谷川俊太郎など多くの文人がその死を哀しみ、追悼文を発表しました。
詩人の生活
V0011-00062 三好達治旧蔵 トランク
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V0011-00063 押し花
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V0011-00094 三好達治旧蔵 菓子器
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V0011-00095 三好達治旧蔵 炭斗
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V0011-00102 三好達治旧蔵 羽織
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V0011-00093 三好達治旧蔵 釣竿
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譲り受けた則武三雄による箱書きには、「小田原にて作成。三国にて愛用」とある。
V0011-00105 三好達治 原稿「小田原」7枚 鉛筆書
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雑誌「市政」に掲載か。
昭和14年から19年にかけて小田原に居住。戦後にその雰囲気が大きく変わってしまう前の小田原の素朴な美しさを回想している。
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V0011-00063 押し花
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V0011-00094 三好達治旧蔵 菓子器
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V0011-00095 三好達治旧蔵 炭斗
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V0011-00102 三好達治旧蔵 羽織
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V0011-00093 三好達治旧蔵 釣竿
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譲り受けた則武三雄による箱書きには、「小田原にて作成。三国にて愛用」とある。
V0011-00105 三好達治 原稿「小田原」7枚 鉛筆書
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雑誌「市政」に掲載か。
昭和14年から19年にかけて小田原に居住。戦後にその雰囲気が大きく変わってしまう前の小田原の素朴な美しさを回想している。
三好達治と福井
V0011-00091 三好達治 草稿「三国高等学校歌」 毛筆書 [『三好達治全集』12巻 (昭和41(1966)年、筑摩書房)所収]
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福井県では、三国高等学校歌のほか、大野高等学校歌や福井県民歌を作詞しているが、随筆「校歌」(『群像』昭和26年4月号に発表)には、校歌を作ってもらいたいと相談されると「実はその度に閉口する」と書いている。
V0011-00026 三好達治 詩額「わが庭の秋のあはれはふと在りて」 毛筆書
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「わが庭の秋のあはれはふと在りて風に流るるくれないの花をとらえしあきつかな」
米が脇の旧居跡に詩碑がある。大きな藤棚は当時のもの。
V0011-00033 三好達治 書「春愁三章」 毛筆書 小野忠弘装幀 [三好達治詩集頒布の会 昭和20(1945)年]
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木製法帖型手彫春慶塗 木箱入り 限定50部 「春のあはれ」を記したもの
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