ふるさと文学館新収蔵品展2022
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開催期間 | 2022年4月23日(土)~2022年6月5日(日) |
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会場 | 福井県ふるさと文学館 |
内容 | 2022年2月でふるさと文学館は開館7周年を迎えました。これまで多くの文学関係者から様々な資料をご寄贈いただき、福井の文学の魅力を発信することができました。 |
チラシ・資料一覧 | 新収蔵品展2022チラシ(pdf 4,404kb) 展示資料一覧(pdf 151kb) |
新収蔵品展2022
開館7周年を迎えた福井県ふるさと文学館は、これまで皆様から多くの資料をご寄贈いただいてきました。「新収蔵品展2022」では、昨年からこれまでにご寄贈いただいた資料を中心とする当館の収蔵品を紹介します。
2022年に生誕110年を迎える芥川賞作家・多田裕計、水上勉作品の挿絵を数多く手掛けた画家・司修、長年女性史研究を続け2018年に亡くなった山崎朋子、書表現の革新を続ける書家・石川九楊。本展ではこれら福井にゆかりの深い作家たちが書いた原稿、書、絵画および旧蔵の調度品など新収蔵品を中心に様々な文学資料をご覧いただき、作家たちの作品世界を紹介します。
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2022年に生誕110年を迎える芥川賞作家・多田裕計、水上勉作品の挿絵を数多く手掛けた画家・司修、長年女性史研究を続け2018年に亡くなった山崎朋子、書表現の革新を続ける書家・石川九楊。本展ではこれら福井にゆかりの深い作家たちが書いた原稿、書、絵画および旧蔵の調度品など新収蔵品を中心に様々な文学資料をご覧いただき、作家たちの作品世界を紹介します。
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第1章 司 修
司修は1936年、群馬県前橋市に生まれました。故郷で戦争を経たのち、中学卒業後に画家を志して上京します。他の画家たちとの実力の違いを感じ、画家の道を諦めようとしますが、萩原朔太郎の詩と出合い、その詩作品を題材にした絵を描くことで勇気づけられたといいます。油彩、シルクスクリーン、銅版画など様々な技法で独自の画風を追究し制作を続ける一方、装幀や挿画の仕事を手掛けるようになりました。
1964年、吉村昭の『孤独な噴水』(講談社)を皮切りに装幀の仕事を始め、大江健三郎、石原慎太郎、野坂昭如など、文学作品の装幀・挿画を多く手掛けてきました。特に2004年に亡くなった水上勉とは晩年まで親しく交流を続け、『比良の満月』(1965年、桃源社)、『寺泊』(1977年、筑摩書房)、『停車場有情』(1980年、海竜社)など水上作品の装幀・挿画も多数手掛けています。
ここでは、水上勉の『父と子』(1980年、朝日新聞社)を中心に、司修が装幀・挿画を手掛けた水上作品とその挿絵原画をご紹介しました。
1964年、吉村昭の『孤独な噴水』(講談社)を皮切りに装幀の仕事を始め、大江健三郎、石原慎太郎、野坂昭如など、文学作品の装幀・挿画を多く手掛けてきました。特に2004年に亡くなった水上勉とは晩年まで親しく交流を続け、『比良の満月』(1965年、桃源社)、『寺泊』(1977年、筑摩書房)、『停車場有情』(1980年、海竜社)など水上作品の装幀・挿画も多数手掛けています。
ここでは、水上勉の『父と子』(1980年、朝日新聞社)を中心に、司修が装幀・挿画を手掛けた水上作品とその挿絵原画をご紹介しました。
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第2章 山崎朋子
山崎朋子は1932年、長崎県佐世保市に生まれます。海軍士官だった父を潜水艦の事故で亡くし、1945年6月に母の実家がある福井県大野市に疎開します。終戦後は、福井大学を卒業し女優を志して上京しましたが、勤めていた喫茶店で出会った男に一方的に好意を持たれ、顔を切りつけられ大けがを負いました。
この事件により女優の夢を諦めましたが、児童文化の研究をしていた上笙一郎と出会い結婚。以前から興味を持っていた女性問題や女性史の勉強を始め、貧しさのため海外で娼婦とならなければならなかった女性たち「からゆきさん」について詳しく知りたいと思うようになりました。
山崎は、からゆきさんだった老女「おサキさん」の家で3週間の共同生活をしながら、その半生を聞き取った体験をまとめ、1972年に『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(筑摩書房)として発表。この作品は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、1974年には映画化され大きな話題となりました。その後も、『サンダカンの墓』(1974年、文藝春秋)、『アジア女性交流史 昭和期篇』(2012年、岩波書店)などの著作で、歴史の中に埋もれた女性たちを掘り起こしました。
このコーナーでは、代表作『サンダカン八番娼館』の原稿や取材メモから、山崎の女性史研究の業績を紹介しました。
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第3章 三好達治
三好達治は1900年、大阪市に生まれました。高校時代に萩原朔太郎の詩に出合い、その魅力に心酔。東京帝国大学に入学後、本格的に詩作を始めました。1930年に処女詩集『測量船』(第一書房)を刊行し高い評価を得た三好は、『南窗集』(1932年、椎の木社)、『故郷の花』(1946年、創元社)、『駱駝の瘤にまたがつて』(1952年、創元社)などの詩集を次々と発表しました。
1944年には小田原より三国に移住し、約5年間をこの地で過ごしました。福井での生活は詩の革新や再出発の契機となり、越前・三国を「わが心のふるさと」と語るほど愛しました。福井を去ったあとも、福井県民歌や大野高校校歌などを作詞しており、福井への愛着をうかがうことができます。
詩作の一方で、「月の十日」「草上記」など評論・エッセイの連載や、『日本現代詩大全』『萩原朔太郎集』の編纂に携わるなど、詩歌人やその作品の評論活動も旺盛に行いました。
このコーナーでは、新収蔵資料「草上記」原稿をはじめとして、三好達治の自筆資料と著作をご紹介しました。
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第4章 石川九楊
石川九楊は1945年、今立郡粟田部町(現・越前市)に生まれ、武生で育ちました。武生第三中学校では師・垣内楊石と出会い、書の芸術性に目覚めます。藤島高校を卒業し京都大学法学部に進学する際、師の名前から一字、九頭竜川から一字をとって「九楊」の名を享けました。大学在学中には友人と書の団体を設立し作品を発表するなど、書家としての活動を始めました。1978年に勤めていた化学会社を退社、書塾を設立し書家として独立しました。『書の終焉』(1990年、同朋舎出版)でサントリー学芸賞、『日本書史』(2001年、名古屋大学出版会)で毎日出版文化賞、『近代書史』(2009年、名古屋大学出版会)で大佛次郎賞を受賞。書表現の可能性を模索する書作品を制作するかたわら、「書く」ことの本質を解き明かす評論を発表しつづけています。
このコーナーでは、新たに収蔵した書作品のほか、作品の中の一場面を切り取って細密レプリカ作品にした版書『DETAILS』など、石川九楊の書の書きぶりがご覧いただける作品をご紹介しました。
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このコーナーでは、新たに収蔵した書作品のほか、作品の中の一場面を切り取って細密レプリカ作品にした版書『DETAILS』など、石川九楊の書の書きぶりがご覧いただける作品をご紹介しました。
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第5章 多田裕計
多田裕計は1912年、福井市に生まれ、福井中学(現・藤島高校)を卒業し早稲田大学へ入学しました。在学中から小説執筆を始めた多田は、当時川端康成らとともに新感覚派として注目されていた横光利一に師事。仲間たちと同人誌『黙示』を創刊したり、横光を中心とした句会「十日会」に参加したりするなど、熱心な創作活動を続けました。
1940年、多田は勤めていた松竹株式会社から中国の映画会社に移り、上海での生活を始めました。当時は日中戦争の真っただ中であり、現地でその混乱を目の当たりにした多田は、国や思想の違いが原因ですれ違う日中両国の青年たちを描いた小説「長江デルタ」を発表、1941年に芥川賞を受賞しました。
1949年には空襲、地震と2度にわたる福井での災害の経験を小説「荒野の雲雀」に発表、また1968年には中野重治、水上勉、津村節子など福井出身の作家たちが集まる「福井文人の会」に参加するなど、福井とのつながりを大切にしながら創作を続けました。
このコーナーでは、多田の福井での暮らしや福井とのつながりを綴った作品を中心に紹介しました。
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1940年、多田は勤めていた松竹株式会社から中国の映画会社に移り、上海での生活を始めました。当時は日中戦争の真っただ中であり、現地でその混乱を目の当たりにした多田は、国や思想の違いが原因ですれ違う日中両国の青年たちを描いた小説「長江デルタ」を発表、1941年に芥川賞を受賞しました。
1949年には空襲、地震と2度にわたる福井での災害の経験を小説「荒野の雲雀」に発表、また1968年には中野重治、水上勉、津村節子など福井出身の作家たちが集まる「福井文人の会」に参加するなど、福井とのつながりを大切にしながら創作を続けました。
このコーナーでは、多田の福井での暮らしや福井とのつながりを綴った作品を中心に紹介しました。
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