越前奇談怪談集(19)イモリの妖
マット・マイヤー氏のイラストと現代語訳
守宮の妖(ばけもの)
越前国湯尾(南越前町)という所の奥に城跡がある。いばらが生い茂り、古い松の根が横たわり、鳥の声かすかに聞こえ、谷の水音が非常に気味悪い。
曹洞宗の僧・塵外(じんがい)首座という人物が、この場所に草庵を結んでいた。(中略)ある夜のこと、首座は灯りをつけて机によりかかり、「伝灯録」という書物を読んでいた。すると、身長わずか四、五寸ほど(一二~一五センチ)の人間が、黒い帽子をかぶり、細い杖をついて現れた。そしてアブの鳴くような小さな声で、「わたしは今ここにやって来たが、この庵の主人はいないのか。物言う人もなく、静かで寂しいことだ」などと言う。首座は元来、心が落ち着いていて、物ごとに動じない性質なので、これを見聞きしても、驚いたり恐れたりしなかった。するとその化け物は怒り出して、「わたしは今、客人としてやって来たというのに、無礼で物さえ言わないとはおもしろくない」と言って、机の上に飛び上がってくる。首座は扇を手に取って、この化け物を打ち落としてしまった。化け物は「乱暴なふるまい、覚えておれ」と大きな声で叫びながら、門から出て姿を消してしまった。 (中略)
今度は、身長、五、六寸ほど(一五~一八センチ)の人間が、腕まくりにひじを張り、手には杖を持って、一万人ほど走ってきて、蟻のように集まり、首座を杖で打ってきた。首座は夢をみているように思われたが、痛むことは言いようがないほどである。その中の一人、赤い装束を着て、烏帽子をつけた者が大将かと見える。後ろに控えて命令を下し、「僧侶よ、早くここから出て去れ。去らなければ、お前の目・鼻・耳を傷つけるぞ」と言うと、七、八人が首座の肩に飛び上り、耳と鼻に食いついてきた。首座はこれを払い落して、門外に逃れ出た。
(中略)
あまりの不思議さに、南の丘の門のあたりをたずねてみると、まったく何の跡もない。東の方の少し高い丘のところに穴があって、イモリが多く出入りしている。怪しく思って、人を多く雇ってここを掘らせると、だんだんと底が広くなっており、一丈(約三メートル)ばかり掘り進めると、イモリが集まっていて約二万匹もいた。その中でも大きなものは、体長が一尺(約三〇センチ)ほどあって、色が赤い。これがすなわちイモリの王であろう。
村人の中の一人の翁が進み出て次のように語った。「そのむかし、瓜生判官という武勇の人がいた。この場所に城を構えて、一時期この辺りを従え、脇屋義治の権勢になびいた。そのもとをたどると、判官の弟に義鑑房という僧がいた。義治を見て、極めて無類の美童だったので、これに愛念を起こして、兄の判官にも勧めて、義兵を挙げたが、ついに本意を遂げることができずに討ち死にしてしまった。義鑑房の亡魂がこの城に残ってイモリとなり、城の井戸の中に棲んでいたが、年経て後、その井戸も崩れたと言い伝えられている。さては疑いなく、井戸にいたイモリが、今この化け物になったと思われる。早く取り払わないと、重ねてまた禍いがあるだろう」と。これを聞いた塵外首座は、一紙に次の文を書いた。
(中略)おまえは当時、仏教の僧侶であった。それがある日、突然に男色に目がくらみ、遂には仏道の修行を捨てて、武勇を励まし、悩み苦しんで、死してからは地を這う虫となってしまった。(中略)はやく心を改めて、正しい道にむかい、生まれ変わって元の心に戻れ。
このように首座が読み上げると、これに感じいったのだろうか、数万のイモリはみな一斉に死に倒れてしまった。人々はみな不思議に思い、ただこのまま捨てておいてはならないと、柴を積んでイモリの死骸を焼いて灰にして、墳丘を築いてしるしとした。それ以後、二度とこのような怪異が起こることはなかった。
越前国湯尾(南越前町)という所の奥に城跡がある。いばらが生い茂り、古い松の根が横たわり、鳥の声かすかに聞こえ、谷の水音が非常に気味悪い。
曹洞宗の僧・塵外(じんがい)首座という人物が、この場所に草庵を結んでいた。(中略)ある夜のこと、首座は灯りをつけて机によりかかり、「伝灯録」という書物を読んでいた。すると、身長わずか四、五寸ほど(一二~一五センチ)の人間が、黒い帽子をかぶり、細い杖をついて現れた。そしてアブの鳴くような小さな声で、「わたしは今ここにやって来たが、この庵の主人はいないのか。物言う人もなく、静かで寂しいことだ」などと言う。首座は元来、心が落ち着いていて、物ごとに動じない性質なので、これを見聞きしても、驚いたり恐れたりしなかった。するとその化け物は怒り出して、「わたしは今、客人としてやって来たというのに、無礼で物さえ言わないとはおもしろくない」と言って、机の上に飛び上がってくる。首座は扇を手に取って、この化け物を打ち落としてしまった。化け物は「乱暴なふるまい、覚えておれ」と大きな声で叫びながら、門から出て姿を消してしまった。 (中略)
今度は、身長、五、六寸ほど(一五~一八センチ)の人間が、腕まくりにひじを張り、手には杖を持って、一万人ほど走ってきて、蟻のように集まり、首座を杖で打ってきた。首座は夢をみているように思われたが、痛むことは言いようがないほどである。その中の一人、赤い装束を着て、烏帽子をつけた者が大将かと見える。後ろに控えて命令を下し、「僧侶よ、早くここから出て去れ。去らなければ、お前の目・鼻・耳を傷つけるぞ」と言うと、七、八人が首座の肩に飛び上り、耳と鼻に食いついてきた。首座はこれを払い落して、門外に逃れ出た。
(中略)
あまりの不思議さに、南の丘の門のあたりをたずねてみると、まったく何の跡もない。東の方の少し高い丘のところに穴があって、イモリが多く出入りしている。怪しく思って、人を多く雇ってここを掘らせると、だんだんと底が広くなっており、一丈(約三メートル)ばかり掘り進めると、イモリが集まっていて約二万匹もいた。その中でも大きなものは、体長が一尺(約三〇センチ)ほどあって、色が赤い。これがすなわちイモリの王であろう。
村人の中の一人の翁が進み出て次のように語った。「そのむかし、瓜生判官という武勇の人がいた。この場所に城を構えて、一時期この辺りを従え、脇屋義治の権勢になびいた。そのもとをたどると、判官の弟に義鑑房という僧がいた。義治を見て、極めて無類の美童だったので、これに愛念を起こして、兄の判官にも勧めて、義兵を挙げたが、ついに本意を遂げることができずに討ち死にしてしまった。義鑑房の亡魂がこの城に残ってイモリとなり、城の井戸の中に棲んでいたが、年経て後、その井戸も崩れたと言い伝えられている。さては疑いなく、井戸にいたイモリが、今この化け物になったと思われる。早く取り払わないと、重ねてまた禍いがあるだろう」と。これを聞いた塵外首座は、一紙に次の文を書いた。
(中略)おまえは当時、仏教の僧侶であった。それがある日、突然に男色に目がくらみ、遂には仏道の修行を捨てて、武勇を励まし、悩み苦しんで、死してからは地を這う虫となってしまった。(中略)はやく心を改めて、正しい道にむかい、生まれ変わって元の心に戻れ。
このように首座が読み上げると、これに感じいったのだろうか、数万のイモリはみな一斉に死に倒れてしまった。人々はみな不思議に思い、ただこのまま捨てておいてはならないと、柴を積んでイモリの死骸を焼いて灰にして、墳丘を築いてしるしとした。それ以後、二度とこのような怪異が起こることはなかった。
資料原本と翻刻文
守宮の妖
越前の国湯尾といふ所のおくに城郭の跡あり、荊棘のいばら生茂り、古松の根よこたハり、鳥の声かすかに、谷の水音物すごきに、曹洞家褊衫の僧塵外首座とかや、この所に草庵を結びて、座禅学解の風儀をあぢハひ、春ハもえ出る蕨をおりて飢をたすけ、秋ハ嵐に木の葉をまちて薪とす、近きあたりの村里より、檀越まうで来てハ、その日を送るほとの糧をつゝミてめぐむ事、折々ハこれありといへども、おほくは人かげもまれ〳〵也、されども、書典をひらきてむかふ時は、古人に対してかたるがことく、座禅の床にのぼれハ、空(以下略)
越前の国湯尾といふ所のおくに城郭の跡あり、荊棘のいばら生茂り、古松の根よこたハり、鳥の声かすかに、谷の水音物すごきに、曹洞家褊衫の僧塵外首座とかや、この所に草庵を結びて、座禅学解の風儀をあぢハひ、春ハもえ出る蕨をおりて飢をたすけ、秋ハ嵐に木の葉をまちて薪とす、近きあたりの村里より、檀越まうで来てハ、その日を送るほとの糧をつゝミてめぐむ事、折々ハこれありといへども、おほくは人かげもまれ〳〵也、されども、書典をひらきてむかふ時は、古人に対してかたるがことく、座禅の床にのぼれハ、空(以下略)