松平文庫テーマ展47「松平文庫にのこる紫式部の足跡」
開催期間・場所 | 2023年12月22日(金)~2024年2月21日(水) 9:00~17:00 福井県文書館閲覧室(入館無料) |
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関連イベント | 1月21日(日)15:00~16:00 ゆるっトーク「松平文庫にのこる紫式部の足跡」 |
概要 | 紫式部は、20代のころ、父・藤原 |
目次
1. 紫式部って?
970 - 978頃生 ~ 1014 - 1031頃没 現代の文庫本や新書なら6冊ほどになる長編小説「源氏物語」の作者とされる、平安時代の人です。百人一首に選ばれている和歌「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」を詠い、中古三十六歌仙や女房三十六歌仙にも選ばれています。江戸中期成立の「越前国主記」には、越前国司の藤原
文学一家
紫式部の家は、国司を務める(「
2. 父・為時、越前守になる
越前守に任命されたのは漢詩を詠んだから?
「越前国主記」や、「古今類聚越前国誌」に、紫式部の父・為時が越前守に任命されたときの逸話が残されています。996年(長徳2)の春に淡路守に任命されますが、「私は苦学を重ねてきたのに、異動先が淡路と聞いて、茫然として紅い涙を流しています」と帝に訴え、そのおかげで越前守に代われたとのこと。
越前国の歴代国主として「藤原為時」の項があり「紫式部ガ父也」と記されています。淡路守に任官された為時が、悲憤した漢詩を詠んだことで、越前守に代わったエピソードも記されています。
資料名:「越前国主記」 享保18年(1733)A0143-02256 松平文庫(当館保管)
淡路守と聞いて嘆いた訳は?
当時日本の国は、国力によって、大国・上国・中国・小国の4つのランクに区分され、淡路国は小国、越前国は大国でした。小国に任命されたことを嘆き、漢詩で訴えた、という訳です。ただし、これはあくまでも逸話であって、実際には、当時、越前国にいた宋国人との折衝にあたらせるために、漢詩文に堪能な為時を越前守にしたのだろう(Aとのことです。
3. 父につき従って越前へ
紫式部は「紫式部集」に、京と越前を往復した時の歌をいくつか残しています。それをもとに、行程をたどりました(日程は(Bによる)。塩津峠(深坂越え)後の越前内のルートは、海路をとったのか、陸路をとったのか定かではありません(C。国司の任期は4年間でしたが、紫式部は父を残して997年末か998年春(木の葉が茂り、白山・伊吹山に雪がある時期)に、京に戻り藤原
+資料「新古今和歌集」:琵琶湖の浮舟で夕立に
「かきくもり 夕たつ波の あらけれは うきたる舟そ しつ心なき」
紫式部一行は琵琶湖を舟行します。船上で、夕立に見舞われたようで、落ち着かない様子で過ごしたことがわかります。「源氏物語」の「須磨」帖において、海の様子を描写するヒントになったのかもしれません。
資料名:「新古今和歌集」 元久2年(1205)A0143-M217460000 松平文庫(当館保管)
+資料「紫式部集」(「群書類従」に収録):紫式部旅日記
紫式部が自ら130首ほどの歌を選んでのこしたものが、「紫式部集」として伝わっています。越前往還時の旅程中、三尾崎で詠んだ歌から、滞在時の日野山の雪を詠んだ歌までの7首が載っています。
資料名:「群書類従」文政3年(1820)塙保己一編 A0143-M200710000 松平文庫(当館保管)
4. 武生の国府へ
木ノ芽 峠を越えたなら
紫式部の一行が、敦賀~武生間を陸路で国府を目指した場合、木ノ芽峠を通った可能性が高くなります。1996年には、紫式部越前武生来遊千年記念事業実行委員会の主催で木ノ芽峠越えの再現が行われました。写真は、現地の役人が国司一行を国境で迎える「
「国衙 」はどこだった?
武生にあった国衙(今でいう県庁)の位置は、特定されていません。そのための発掘調査を越前市が続けており、本興寺の敷地内(図中●の位置)で、平安時代の国衙の濠の一部と推定される遺跡が発掘されています。
「源氏物語」に出てくる武生
「源氏物語」の「浮舟」帖には、浮舟の母が、浮舟に対して「遠く離れた武生の国府にいても、あなたに会いに来ますよ」と言うくだりがあります。また「手習」帖にも、大尼君が琴を弾きながら「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」と歌う描写があります。武生は、平安時代に親しまれた歌謡である
催馬楽は、平安時代に庶民から広がり、貴族層にも雅楽とあわせて取り入れられて流行した歌謡です。この歌は、都から遠く離れた武生から、親への言伝を“風”に託したものです。
資料名:「越前国古今名蹟考 一 敦賀郡」文化13年(1816)井上翼章 A0143-21215-003 松平文庫(当館保管)
動画にて、再現した催馬楽をお楽しみいただけます。(演奏時間 5分40秒。池田正男氏提供・福井県雅楽会演奏・こしの都ネットワーク撮影)
5. 紫式部の見た日野山・白山
紫式部は武生の国府でひと冬を過ごします。雪の多い越前の冬は紫式部に大きな印象を与えたようです。
「越前富士」日野山
国府から南東にそびえ立つ日野山について、「暦だと初雪の日なのに、日野山(杉)はすでに雪深い」と、京都の
紫式部は白山を見たのか?
「春になっても、解けない
なお、国府(図●付近)から白山を望もうとすると、村国山や三里山・行司岳、さらには一乗山に阻まれますが、3kmほど南(●)からであれば、遥か60km先の白山を望めます(上写真)。
参考資料(2024.5追記):紫式部は白山をどこから眺めたのか-GISの可視域解析より-(PDF:6.4 MB)
6. 越前下向は『源氏物語』のヒント?
『源氏物語』では、主人公の光源氏が一時期須磨に下向します。越前下向の経験が、「須磨」帖の描写のヒントになったのかもしれません。
冬の荒天
須磨・明石付近(神戸)は、季節風が吹き降ろす側なので、実は京よりも雪は降りません。京を離れた地の天候として、越前の冬の経験を活かしたのかもしれません。(左画像:「雪見をする光源氏」(斎宮歴史博物館蔵)/右画像:「12~3月の旬毎の積雪のある日数割合」(1923~2022年の気象庁データを利用して作成))
海の嵐
源氏が自分の無実を祈っていると、突如大嵐になります。この描写は、琵琶湖の夕立(→[3])を想起させます。(左画像:「祓のさなかに突然大嵐が吹く」(斎宮歴史博物館蔵))
7. 殿様から民衆まで後世にのこした足跡
図:紫式部の歌を収録した歌集や源氏物語に関係の深い資料の成立時期
松平の殿様の教養として
江戸時代初期、大坂冬・夏の陣で活躍し、武に秀でた大野藩主・松平直政は、「(寛永)四年、(公年二十七歳)烏丸光廣卿を招き、源氏物語を論ぜらる、……」とあり、歌人の烏丸光広と源氏物語談義をしたようです(E。また、幕末の松平春嶽も、橘曙覧に源氏物語の講義をするよう要請しています。しかし、曙覧は、それを固辞したため、実現はしなかったようです。
資料名:「春岳遺稿巻4」(松平文庫:当館保管 A0143-02829-001
8. 民衆に親しまれた源氏物語
江戸時代には、製本印刷技術の進歩によって多くの本が出版され、民衆が本を読む文化が広がりました。それら多くの文学書の中には、源氏物語が何らかの形で引用・利用されるなど、紫式部はのちの文化に多大な足跡を残しています。
ガイドブック(注釈本・あらすじ本)
源氏物語の注釈本は、古くは平安時代末期に出されています(藤原
+資料「源氏物語
江戸時代の文学者、北村季吟は源氏物語の注釈書「湖月抄」を著し、その子湖春も元禄元年(1688)に「源氏物語忍草」を著します。150年ほどを経た天保年間になって人気が再燃したようです。
資料名:「源氏物語忍草」天保5年(1834)北村湖春A0143-M218500000 松平文庫(当館保管)
+資料「おさなげんじ」:光源氏はどこにいる?
多くの登場人物が絡み合う源氏物語を知るための、絵・系図などをふんだんに盛り込んだ、親切な入門書です。
さて、この系図の中で、主人公・光源氏はどこにいるでしょうか?
資料名:「おさなげんじ」寛文10年(1670)八尾勘兵衛A0205-105016 越国文庫(福井市立図書館蔵)
カルタブーム
江戸時代、娯楽としてカルタが普及し、「小倉百人一首」以外にも様々なカルタが生まれました。「源氏百人一首」もその一つで、カルタの読み札形式で、源氏物語作中の歌(作者は紫式部)が載せられています。
+資料「源氏百人一首」:源氏版ロミオとジュリエット
江戸期に流行した異種百人一首の一つです。源氏物語の登場人物や物の怪が詠んだ歌から作られています。源氏の子・夕霧と内大臣の子・
資料名:「源氏百人一首」天保12年(1841)黒沢翁満A0143-M218490000 松平文庫(当館保管)
女性向け教養本(往来物)
「女必用
+資料「女必用教鑑大全」:女性の教養に、着物の柄に
往来物(初等教育用教科書)の一つです。この部分は
資料名:「女必用教鑑大全」文化17年(1817)こども歴史文化館蔵
パロディ・風刺作品
水滸伝をもとにした曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」や、歌川国芳の浮世絵による風刺画など、パロディ・風刺作品も江戸時代に流行しました。源氏物語のそれは「
+資料「偐紫田舎源氏」:光源氏→光氏→徳川家斉?
室町幕府の将軍・足利義政の妾腹の子でプレイボーイ光氏(光源氏)が、山名宗全の野望を阻止する物語です。大奥文化を華開かせた家斉がモデルと噂され、天保の改革で発禁処分になります。作中、衣服に(光)とあるのが光氏です。
資料名:「偐紫田舎源氏」文政12~天保13年(1829~1842)柳亭種彦A0143-M218960000 松平文庫(当館保管)
A) 倉本一宏(2014)『紫式部と平安の都』吉川弘文館.
B) 藤本勝義(1994)「紫式部の越前下向をめぐっての考察」青山学院女子短期大学総合文化研究所年報.
C) 福井県(1994) 『福井県史』福井県.
D) 福井県(1998)『図説 福井県史』福井県.
E) 村上寿夫編(1927)『松平直政公戦功講談 附略年譜逸事』.
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