明治の大合併で成立した町村名とその由来

1. 明治の大合併とは

 明治22年(1889)4月、「市制及町村制」(明治21年法律第1号)が施行され、同時に大規模な町村合併が断行されました。これは旧来からの村や町を行政団体として確立することを目的としており、全国71,314の町村は39市15,820町村に、福井県では1,990の町村が1市9町168村に整理されました。

2. 町村名の選定指針

 明治の大合併が行われる前年の明治21年(1888)6月、「町村合併標準」が内務省から訓令として提示されました1)。この第6条で、町村名について以下のような指針が出されています。

  …大町村ニ小町村ヲ合併スルトキハ其大町村ノ名称ヲ以テ新町村ノ名称トナシあるいハ互ニ優劣ナキ数小町村ヲ合併スルトキハ各町村ノ旧名称ヲ参互さんご折衷せっちゅうスル等適宜斟酌しんしゃくシ勉メテ民情ニ背カサルコトヲ要ス、ただし町村ノ大小ニかかハラス歴史上著名ノ名称ハ可成なるべく保存ノ注意ヲ為スヘシ


これを受けて福井県も、「(町村名の)選定にあたっては極力その土地の慣称・民情を斟酌し、大村名、数村名の参互折衷、あるいは郷庄名をもって選定する」との指針を示し、各郡長・戸長あてに内示しました2)
 これらをふまえ、政府および福井県の町村名選定指針をまとめると、以下のようになります。

  • A 大町村と小町村が合併するときは大町村名を採用
  • B 旧郷名や旧荘園名および歴史上著名な名称から採用
  • C 複数の地名の合成


 では、実際にはどのように新町村名を選定していったのでしょうか。当館所蔵の公文書を通して、その由来を探っていきましょう。

3. 「新村撰定事由調しんそんせんていじゆうしらべ」からみる町村名の選定理由

 今回扱う資料「新村撰定事由調」(旧福井県庁文書、A0300-00001)は、福井県の町村合併を進めるにあたり事務局である「新法取扱事務所」が明治21年(1888)に作成した公文書で、「明治の大合併」の研究における基礎資料として位置づけられています(写真1)3)。ここでは前掲の選定指針A~Cに当てはめて、具体的な町村名の由来(選定理由)をみていきます。

写真1
写真1

A 大町村と小町村が合併するときは大町村名を採用~伊井いい村の例~

 まずは坂井郡伊井村(現あわら市)の事例を紹介します。伊井村は矢地村、菅野村、稲越村、河原井手村、池口村、伊井村、清間村、桑原村および古屋石塚村の旧9村が合併して成立した村です4)
 「新村撰定事由調」の村名選定理由の該当箇所を引用します。

伊井村ハ各村中ノ大村ニシテ区域ノ中央ニ位セリ且他ニ相当ノ旧郷名等無之ニ付即チ大村名ヲ採ル


 すなわち、旧村のうち伊井村が最大で区域の中央に位置すること、また他に相当する旧郷名等がないため、大村名である伊井村の名称を採用したとのことです。確かに「足羽県地理誌」(明治5年(1872))によると、伊井村の戸数は123と最も多く、旧9村全体の約4分の1を占めていました5)。このように、明らかに町村規模に差があり、地域全体を包括する旧郷名など適切な名称がない場合は、合併地域のうち最大の旧町村名を採用する方法をとりました。このような選定理由で成立した町村名は、ほかに「加戸かど村」(現坂井市)、「河野村」(現南条郡南越前町)、「高浜村」(現大飯郡高浜町)などがあり、県全体の割合としては約7%でした。
 

B 旧郷名や旧荘園名および歴史上著名な名称から採用~麻生津あそうづ村の例~

 続いて足羽郡麻生津村(現福井市)の事例をみていきましょう。麻生津村は引目村、杉谷村、中荒井村、今市村、浅水二日町村、浅水村、真木村、三十八社村、下江尻村、上江尻村、中野村、花守村、三尾野村、冬野村、安保村、鉾ヶ崎村、主計中村、末広村、森行村、三本木村、徳尾村、生野村および角原村の旧23村が合併して成立した村です6)
 「新村撰定事由調」によると、浅水は古来北陸道の宿駅として著名であるが、文献によって「浅水」「麻生津」「朝六ツ」など「同名異字」があると書かれています(写真2)。

写真2
写真2

 確かに、『角川日本地名大辞典18 福井県』(角川書店、1989)の「あそうず」の項を参照すると、古代の郷名としては「朝津」「あさむづ」、中世の地名としては「浅水」「麻生津」「麻生水」「浅生水」等複数の記載がみえます7)。これほど多くの「あそうず(あそうづ)」がある中、なぜ「麻生津」の文字を選択したのでしょうか。「新村撰定事由調」の該当箇所を引用します。

此地方ハ従来麻ノ産地ナレバ其意ニ採リ麻生津ノ文字ヲ用イタリトノ解釈ヲ為スモノアリ、かたがた現称著名ニ採リ、古書ノ文字ヲ用ユ


 すなわち、この地方は従来「麻の産地」であるため「麻生津」の文字を用いたとの解釈があり、さらにその名称が著名であることから、この文字を用いたとのことです。確かに「足羽郡地理誌」によると、当該地域の「物産」の項目に「麻」や「からむし」がみられます8)
 このように麻生津村は、文字の選択こそありましたが、町村名の由来としては「旧郷名や旧荘園名および歴史上著名な名称から採用」した例に含まれます。同様の例としては、旧「細呂宜郷ほそろぎごう」から採用した「細呂木村」(現あわら市)、旧「味真野郷あじまのごう」から採用した「味真野村」(現越前市)、旧「名田荘なたのしょう」から採用した「口名田村」「中名田村」(現小浜市)、「南名田村」「奥名田村」(現大飯郡おおい町)などがあります。実は、これが「明治の大合併」で成立した福井県内の町村名の選定理由で最も多いパターンで、全体の約60%を占めます。

C 複数の地名の合成~春江はるえ村の例~

 最後に、坂井郡春江村(現坂井市)の事例を紹介します。春江村は境村、為国村、沖布目村、大針村、江留上村、江留下村、随応寺村、江留中村、藤鷲塚村、千歩寺村、中庄村、本堂村、西太郎丸村、東太郎丸村、針原村、田端村、高江村、松木村、金剛寺村および安沢村の旧20村が合併して成立した村です9)
 「新村撰定事由調」の村名選定理由の該当箇所を引用します(写真3)。

記載ノ各村ハ春近郷、江留郷ノ二郷ニわたレルヲ以テ、即チ二個郷名ノ冠字ヲ採ル

写真3
写真3


 すなわち、旧20村はかつての「春近郷はるちかごう」と「江留郷えどめごう」の2つの郷に含まれており、その郷名の頭文字を採用して「春江」としたとのことです。このように、複数の地名からその一部を取り合わせて作った新しい地名のことを「合成地名」といいます。明治政府の指針でも「互ニ優劣ナキ数小町村ヲ合併スルトキハ各町村ノ旧名称ヲ参互折衷スル」と示されています。
 同様の例としては、旧郷名の「大口」「大味」「関」の合成である「大関おおぜき村」(現坂井市)や旧村名の「村国」「高木」の合成である「国高くにたか村」(現越前市)、旧浦名の「内浦」「外浦」の合成である「内外海うちとみ村」(現小浜市)などがあり、割合としては県全体の約9%でした。

おわりに

 以上簡単ではありますが、資料「新村撰定事由調」を通して、「明治の大合併」において福井県内で新たに成立した町村名の由来をみてきました。上記の3パターン以外にも、地域の山や用水の名称から採用した例など多様な選定理由がみられました。なお本コラム執筆にあたり、町村名とその選定理由をまとめた一覧表(Excelを作成しました。調査研究等で活用いただければ幸いです。

田川 雄一(2024年8月10日作成)


今回扱った資料「新村撰定事由調」は福井県文書館内で複製資料を閲覧できます。

【注】 ※URLへのリンクはすべて2024年7月31日参照

1)明治21年6月13日内務大臣訓令第352号(亀卦川浩 著ほか『自治五十年史 制度篇』、文生書院、1977、p.267~271)「国立国会図書館デジタルコレクション」
2)『福井県史 通史編5 近現代一』(福井県、1994年)、p.177
3)「新村撰定事由調」の詳細については、堀井雅弘「「明治の大合併」と「新村撰定事由調」」(『福井県文書館研究紀要』19号、2022年)を参照。
4)『角川日本地名大辞典18 福井県』(角川書店、1989)、p.118
5)『日本歴史地名大系18福井県の地名』(平凡社、1981)、p.711
6)前掲4)、p.92
7)前掲4)、p.92
8)『福井市史 資料編10 近現代一』(福井市、1991)、pp.33-42
9)前掲4)、p.938

【関連ページ】
令和6年度夏季展示「未来へ残すふくいの公文書-「神社明細帳」から「はぴりゅう」までー」
コラム#福井の記憶に出会う 15「下馬町の地名の由来は?」(長野栄俊、2022.10)