ミニ展示「笠原良策を以て魁とす-白翁、種痘への挑戦-」

開催期間・場所2025年1月24日(金)~2025年3月9日(日)
9:00~17:00 福井県文書館閲覧室(入館無料)
概要 幕末、福井に種痘(天然痘のワクチン接種)を導入し、その普及に努めた福井城下の町医・笠原良策(白翁)。幕末の福井藩主・松平春嶽は、良策の活動が、福井藩に西洋医学が広まる先がけになったと高く評価しています。
 その生涯を描いた吉村昭の歴史小説『雪の花』が、このたび映画化されました(「雪の花-ともに在りて-」)。これを記念し、笠原良策と福井藩の種痘にゆかりの資料3点を展示します。資料を通じて、感染症との闘いに生涯をかけた福井の先人に関心を持つきっかけとしていただければ幸いです。
関連ページ当館の過去展示:幕末ふくい 天然痘との闘い ‐福井・鯖江・大野の種痘とその担い手たち‐
当館紀要:柳沢芙美子「越前大野藩における種痘の展開-遠隔地への出張と経費負担を中心に-」福井県文書館紀要第21号(PDF)
当館紀要:柳沢芙美子「藩医土屋家文書から見た鯖江藩の種痘 -医業者統制・種痘掛り・出張種痘-」福井県文書館紀要第18号(PDF)
関連企画図書館:郷土資料コーナー「天然痘と闘ったふくいの人々」
ふるさと文学館:吉村昭『雪の花』の世界

笠原良策

笠原良策(白翁)1809~1880

 越前国足羽郡深見村(現福井市)生まれ。福井藩の医学所済世館や江戸に学び、福井城下で町医となります。 その後、加賀の医師大武了玄に出会って西洋医学を志し、京都の日野鼎哉に入門して本格的に学びました。
 天然痘予防のための種痘の有効性を知ると、藩に痘苗(ワクチン)の輸入を嘆願。 京都に届いた痘苗を福井にもたらし、自宅隣に仮除痘館を開きます。 その後も藩営除痘館の開設や種痘の普及全般に尽力しました。

目次

  1. 天然痘(疱瘡)はこんな病気
  2. ヒトからヒトへ植え継ぐ種痘
  3. 除痘館誓約 笠原良策自筆
  4. 奉答紀事 中 中根雪江自筆
  5. 真雪草紙 松平春嶽著(写本)


1. 天然痘(疱瘡)はこんな病気

  • 原因:病原体は天然痘ウイルス。致死率は20〜50%の高いものと、1%以下の低いものとに分けられます。
  • 感染経路:飛沫でヒトからヒトに感染し、強い感染力があります。
  • 経過:約12日間の潜伏期間を経て急激に発熱。発疹をともない、治癒後も痕がくぼんで「あばた」として残りました。
  • 治療・予防:対症療法が中心。痘苗を接種する種痘で予防できます。
  • 歴史:史料上は天平7年(735)の記録が最も早いものですが、それ以前から日本に伝来していたとされます。その後、流行をくり返し、日本では昭和30年(1955)を最後に根絶。昭和55年(1980)にはWHOが世界根絶宣言を出し、人類が根絶できた唯一の感染症となりました。

2. ヒトからヒトへ植え継ぐ種痘

 江戸時代の種痘(ワクチン接種)は、先に受けた子どもの腕から次に受ける子どもの腕へ、6~7日ごとに植え継ぐ人伝のものでした。
 先に種痘を受けた子どもの腕にできた水疱から膿汁を取り、それを塗った種痘針で、次に受ける子どもの腕の表皮をすくって5、6か所ほど刺し入れるのが手順です。そのため子どもたちは、自分が受けた時と、次の子どもに植え継ぐ時の2度除痘館に来る必要がありました。一度で免疫ができたと判定されず、再接種が必要になることも少なくありません。また、雑菌による化膿や別の感染症の罹患、脳炎を発症することもありました。

3. 除痘館誓約 笠原良策自筆

   嘉永2年(1849)11月25日、京都から痘苗を持ち帰った良策は、その日のうちに仮除痘館を開き、福井で初めてとなる種痘を開始しました。この館での守るべき規則を定めたのが「除痘館誓約」です。
 前半では、藩主松平春嶽が種痘導入により天然痘のない国にしようとしていること、また種痘に賛同する医者が一致協力して疫病の災いを取り除くべきことなどが述べられています。後半では、種痘の鑑定は難しく、ひとたび間違えば、事業が失敗するだけでなく、春嶽の威光にも傷が付くとし、以下の規則を忠実に守るよう求めています。

  • 除痘館誓約除痘館の規則に背いてはならない。
  • 除痘館の外で種痘してはならない。
  • 定められた種痘のスケジュールを遅らせてはならない。
  • 種痘で利益を貪ってはならない。
  • 身分が高いことを理由に自慢気な態度をとってはならない。
  • 年長であることを理由に自慢気な態度をとってはならない。
末尾に良策が自署捺印した後には、以下に掲げる医者31人が誓約に賛同し、署名して花押を据えています。
  • 良策に協力した福井城下の町医・藩医17人
  • 越前国内から痘苗を分けてもらいに来た藩医・町医ら11人
  • 加賀国・越中国から痘苗を分けてもらいに来た藩医3人

A0211-00001國枝家文書(当館寄託)

4. 奉答紀事 中 中根雪江自筆

奉答紀事  良策のよき理解者、側用人の中根雪江は、京都からの痘苗導入は「苦辛を極めた」と述べます。その後も誹謗中傷が渦巻く中、勇猛に種痘の普及に努めた良策の精神は、「無痘の国」にするという松平春嶽の志を結実させる萌しになったといいます。
A0143-01261松平文庫(当館保管)

5. 真雪草紙 松平春嶽著(写本)

真雪草紙  松平春嶽は「西洋医学の越前に弘まりしは笠原良策を以て魁とす」と述べ、種痘も「良策心配して終ニ福井へ伝ハる」とその功績を讃えています。また「雪江之功労も莫大なり」と述べ、種痘普及に中根雪江の助力があったことを高く評価しています。
A0143-02632松平文庫(当館保管)

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会場位置MAP

会場_文書館閲覧室